「ある研修医の独り言」
聞き慣れた、しかし何度聞いても、心臓がビクッと跳ねる、スマホの着信音が鳴った。脳卒中ホットラインが急患搬送を告げる。心拍数が140を超えたであろう私は、2回目のスワイプで救急隊の搬送依頼を聞き始めた。
私は、研修2年目の医師。出身地は東京だが、実家は都心から1時間以上かかる土地にある。いわゆる田舎だ。出身大学は都内のいわゆる都会と呼ばれる地域にある。入学してみると、同級生のきらきらした雰囲気に、「なんだかここじゃない」感がふつふつ湧き上がり、なぜか「どうせなら海が見える土地に行こう」、と思い立ち、長崎大学病院で研修することにした。研修医1年目で大まかに長崎のことがわかってきた。まずは「人が優しく、受け入れてくれる」。言い換えると、お人好しで、のんびりしている。接する県は佐賀県だけで、あとは海に囲まれているだけ。ライバル視する県が少ないという土地柄の影響だろうと私は思っている。文化はごちゃ混ぜだ。幕末期に西洋(オランダ)の文化が出島を通じて入ってきて、特に医学においては最先端だった。開学の祖とも言える「ポンペ先生」の言葉が医学部校舎の壁に刻まれている。「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」。現代に即して意訳すると「医師とはブラック職業だ」だが、当時に思いを馳せながら読むと、医師という職業を選んだ自分をいつも初心に戻してくれる、身が引き締まる言葉だ。中国文化の影響はさらに強いようで、ちゃんぽん、皿うどんに代表される食文化は元より、龍踊りが舞う「長崎くんち」、15000個のランタン(提灯)で街が彩られる「ランタンフェスティバル」、故人を爆竹の大きな音とともに精霊船で送る「精霊流し」など、長崎独特の文化や祭事に影響を与えている。多様な文化を取り込んだことが長崎の文化に昇華されているという歴史的事実が、長崎の人の心も寛容にしているのかもしれない。県外出身の私だが、長崎大学病院に受け入れられていと実感している。そして脳神経内科である。ここも寛容だ。2014年開設という浅い歴史が影響しているのかもしれないが、ここだけの話だが、失礼を承知で言うと、変わった人が多いのも寛容さの一因だと思っている。学生教育や研修医、若手教育でも時に個性が炸裂する。難病患者の診療に精通している吉村先生(写真左から4番目の指導は患者さんの気持ちを汲んでいてやさしい。宮崎先生(写真左から2番目)はMRIオタクで講義がはじまると聞いている方は途中からついていけなくなる。脳卒中は立石先生(写真右端)。少し怖い。救急外来では患者さんのより良い診療のためにチームに緊張感を持たせるようにしているらしい。怖い顔でつまらないギャグをいうので困る。辻野教授(写真中央)は寛容だが相手に熱情を求める。本人の熱情がすごいのでスタッフはついていくことに苦労することがあるようだが、方向は正しいため、みんな続く。それぞれのやり方で。
8月、そろそろ入局するかどうか決めなければならない時期だ。長崎という町には馴染んで、落ち着いた生活を送れている。あとは脳神経内科に入局するかどうか。あと5分で、患者さんが搬送されてくる。とにかく今は、患者さんの診療にしっかり取り組もう。入局するかどうかはその後考えよう。